角界のプリンスが

大関として人気を集め、引退後は史上初の兄弟同時横綱を育てた大相撲の二子山満(ふたごやま・みつる)親方=元大関貴ノ花、本名・花田満(はなだ・みつる)=が30日、口腔底(こうくうてい)がんのため東京都内の病院で死去した。55歳だった。
横綱・初代若乃花花田勝治さん(77)の実弟。長男勝さん(34)は三代目若乃花、二男光司さん(32)は貴乃花(現貴乃花親方)。今年2月、舌と下の歯茎の間にできる口腔底がんのため、療養中であることを貴乃花親方が公表。闘病生活を送っていた。
青森県弘前市出身。中学卒業後、実兄の二子山部屋に入門し、1965年夏場所初土俵。体重100キロそこそこの軽量ながら、強じんで柔らかい足腰を生かし、68年春場所に当時史上最年少で新十両(18歳)に昇進。同年九州場所新入幕。72年秋場所後に大関昇進し、輪島、北の湖横綱のライバルとして活躍。75年春場所北の湖を破って初優勝して史上初の兄弟幕内優勝を果たした。優勝2回、大関在位50場所は史上1位。
81年初場所で引退し、82年に藤島部屋を設立。93年には二子山部屋を合併した。貴乃花は94年九州場所後、三代目若乃花も98年夏場所後に横綱に昇進。空前の人気を呼んだ「若・貴フィーバー」を支えた。
96年から相撲協会理事となり審判部長として土俵の活性化に尽力した。しかし03年11月の九州場所前に体調を崩し入院。関係者によると、あごのリンパ節を手術したという。04年2月に協会ナンバー2の事業部長に就き、貴乃花親方に部屋を譲ったが、その後も入退院を繰り返していた。
本当に早すぎる死だと思います。今の北の湖理事長と共に相撲界を担っていく人だっただけに非常に惜しいです。
小さい身体ながらも柔らかい身体にバネのある足腰で巨漢力士を翻弄する姿は子供ながらに圧巻でした。
歴史に残る昭和の名大関でした。
慎んでご冥福をお祈り致しますm(_)m